三鷹市断酒会をつくった「思い」

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三鷹市断酒会 会長
長本 幸雄
2024年7月


なぜ三鷹市に地域断酒会を作ることになったのか、少し振り返ってみたいと思います。東京には断酒会・AAと素晴らしいグループが沢山あります。同じように大学から高校、小中学校、幼稚園まで立派な学校が数えきれないほどあります。しかし、その中には学校に馴じめない落ちこぼれの学生・生徒がいます。アルコール依存症者にもグループに馴じめない落ちこぼれがいっぱいいます。私もその中の一人でした。では、落ちこぼれは何処に行けばよいのでしょうか。

普段着で、下駄ばきで、自由に出入りの出来る場所があれば、少しは心の拠り所になるのでは、と数人の仲間に声をかけて準備を進めていた頃、行政の方からも後押しがあり昭和55年1月11日に会としてスタートを切ることになりました。おかげ様でまもなく45年になります。

私の20年間の飲酒体験のほんの一部をお話しします。九州で生まれ10代から酒を覚え、年齢とともに酒量が増え当時憧れていた女性と待望の所帯を持ち、生活が落ち着いてきた頃に体に大きな変化が現れました。幻聴が始まり間もなく幻覚が出たのです。当然仕事には行けず朝から酒を飲む。すなわち連続飲酒である。折角揃えた家財道具がひとつ減りふたつ減りやがてなにもかもなくなり、とうとう大事にしていた彼女の振袖まで酒に変ってしまい、今でも申し訳なく思っています。私の酒はどんどんひどくなる一方でした。やがて限界が来て尽くしてくれた彼女はバッグ一つで家を出て行きました。

その後の私は精神科を転々とし、ふとした事で東京に来ることが出来ました。東京に来ても酒は止まらずまたも入退院をくり返し、やっと最後に入院した病院で自助会という素晴らしいグループに出合えたことで今の私がいます。

これからの断酒会は時代と共に変化して行くことでしょうが、基本はひとつです。歩みを止めず例会場への足をはこび続けることだと思います。アルコールに関して不安なこと、問題をひとりでは解決出来そうにもないと感じましたら、ご遠慮なくいつでも相談にいらして頂ければ幸いです。

 

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